寒天寒天商品

寒天の魅力

ホーム > 寒天の魅力 > 寒天の歴史

諏訪地方の寒天の歴史

image_13009327048.jpg寒天は天草などの紅藻類に属する海藻の煮凝り(いわゆるトコロテン)を凍結脱水し、不純物を除き乾燥したもので、およそ350年の歴史をもち、日本で初めて発明された食品です。

しかし、トコロテンを食料として用いた歴史はさらに古く、平安時代に中国大陸から伝えられた、当時の宮廷や高貴な人々のぜいたくな食品であったといわれます。

このトコロテンから寒天とする手法を発見したのは、徳川時代に伏見で本陣を営んでいた美濃屋太郎左衛門といわれ、参勤交代の途上宿泊した島津公をもてなす為に作ったトコロテン料理の残りを、戸外に捨てたところ厳冬であったため数日後に白状に変化していたことから興味もち、この製造に取り組み、後に「トコロテンの乾物」と名付けて販売を始めたのが起こりといわれます。

諏訪地方での寒天製造の始まりは、天保年間より茅野市玉川穴山の小林粂左衛門で、関西方面に出稼ぎに出向いたおり丹波地方で寒天製造を知り気候風土が諏訪地方と共通している事と冬の農家の副業として適していると考え、2年ほど下男になって住み込み製法を密かに身に付け郷里玉川穴山にて寒天製造を始めました。

毎年12月中旬から翌年の2月下旬頃まで製造される期間限定の特産品です。
寒天組合では、平成22年10月19日、先人の知恵と努力に感謝し石碑の修復と初供養を執り行いました。

天然・手作りの角寒天、糸寒天。粉寒天は工場で作られる

寒天の由来は実はところてんにあります。ところてんは中国から製法が伝わり、遠く平安時代にはすでに食べられていました。しかし寒天が発明されたのは、江戸の初期。それは山城国伏見(京都)のある冬の日のことでした。

美濃屋太郎左衛門が営む旅館に、参勤交代の途中の薩摩藩主、島津候が宿泊した際、主人の太郎左衛門は、さまざまなご馳走でもてなしました。そのひとつに、テングサを煮て作ったところてん料理があったのです。

rekishi.gif主人は残ったところてんを外に放置しておいたところ、真冬の寒さでところてんは凍結し、日中自然に解凍されては乾燥し、やがて白い半透明の美しい乾物に変わっていったのです。主人はこれを見つけて、試しに煮てみると、ところてん独特の臭みがない透明のかたまりができました。

この出来事が寒天誕生の始まりで、研究の結果、製造方法が確立されたと伝えられています。当時はまだ「ところてんの干物」という認識でしたが、これを試食した高僧隠元禅師が「寒天」と名付け、その後各地に広がりました。このように、寒天の歴史は古く、日本で生まれた伝統的な食材なのです。

寒天の日とは?

image_13012796721.jpg2月16日は寒天の日です。(平成18年2月16日誕生しました。)海藻のテングサを煮た汁を、固めたものが心太(ところてん)です。これを酢醤油や黒蜜で食べたことがある方は、非常に多いのでしょうか。

日本では、心太を平安時代から食べていたそうです。
江戸時代、京都の旅館美濃屋の主人美濃屋太郎左衛門がこの心太を冬の屋外に捨て置いたところ、数日後には白く乾燥しているのが見つかりました。

そしてそれを煮てみると、心太独特の臭みもない、透明な塊ができました。これが寒天で、その後、天寄席や和菓子の材料などとして発展していくことになりました。茅野市に伝えられたのは、170年以上前のことです。(1840年代)

角寒天の形状を維持して、天然製造で日本一の生産量を維持しています。
茅野市は「寒天の里」です。そしてこの寒天が、高血糖や高コレステロール、高血圧や肥満の改善及び予防に有効だと、平成17年(2005)2月16日放送のNHKのためしてガッテン!で取り上げられました。

これを記念し、天然製造の寒天はこの時期が大詰めとなること、この日が天気図記念日であることも天候を見ながら寒天を作ることとの相性も良く、日本一の角寒天の産地である茅野商工会議所と長野県寒天水産加工業協同組合が、この日を「寒天の日」(2006.2.16)と決めました。
寒天の魅力
寒天の魅力・特性
寒天について
寒天の歴史
寒天の製法・使い方
寒天の成分・効果
専門家の意見
美容・健康に役立つ寒天
寒天の6つの裏わざ大公開!

PAGE TOP